小説を書き終える

毎日少しずつやっていると、あるとき「こんなものが自分に作れたのか」と驚くことになるのである。(森博嗣)


物語の登場人物が勝手に動きだす。

そんな感じに
似ているのかもしれません。


この感覚を、
毎日味わえるわけではないけど、

たまに、少しだけ、
その何かは、やってきます。


あとで、自分が書いたものを
読みかえすと、自分のどこから、
こんな言葉が出てきたのか、
不思議に思うときがあります。


それは、自分じゃない何かが
書いているのかもしれないし、

自分のなかの無意識の部分が
書いているのかもしれない。


どちらにしても、
それは、とても不思議な感覚で、

ごくごく、たまに、
そのときは、やってきます。 





キリの良いところで書き終わると、
次の日、どこから書き始めたらいいのか
分からない(また、考えないといけない)。 


キリの悪いところで書き終わると、
次の日、どこから書き始めたら
いいのか、はっきり分かる。


最近は、
1日1枚のルーズリーフに書いて、
次の日の1枚の最初の1行だけ
書いて終わるようにしている。


それが、次の日に書くときの
道しるべに、なっているように思います。





1日1枚。

ルーズリーフに
1つのシーンを。

順番ではなく、自分が「書ける」
と思った場面から書いています。


最近、1つ気づいたこと。


今まで、心理描写や会話は、
なんとなく書けたけど、情景描写?
まわりの様子などを説明するのが苦手だった。

それが、なぜなのかも、どうやったら
書けるようになるのかも、よく分からなかった。


あるとき、物語に出てくる
家のなかの様子を書いているとき、
「なんで今は、書けてるんだろう?」
と考えてみた。


それは、自分の頭のなかで、
その場面(家の様子)が想像できているから。


すごく、あたりまえのことかも
しれないけど、自分にとっては、
ちょっとした、目からウロコな瞬間だった。


順番が、逆だったんだ。

まっしろな紙の上に言葉を書くことで、
物語の世界を作るんじゃなくて、

自分の頭のなかで、
物語の世界ができていて、

そこにあるもの(見えるもの)を
紙の上に書いていくんだ。



電球が、ピコーン。

ガッテン、ガッテンな瞬間だった。


目を閉じたとき、自分が作りあげた
物語の世界に広がるものは、なんだろうか。


主人公が住んでいる
家や部屋の間取りは?


窓から入ってくるのは、
朝日?それとも夕日?


最寄りの駅からの
帰る道は、どんな感じだろうか?


学校や仕事場は、
どのような場所にある?


そこには、
どのような人たちがいる?

 
見ているものがあれば、
その絵が必ず描ける。

考えているものがあれば、
それを書ける。

素直に生きる100の講義(森博嗣)

情景描写をするときは、
絵を描くときのように、

自分の頭のなかで見えるものを
書いていくのが、いいのかもしれない。






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